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復興応援ツアーに行ってきました

  2月17日 夜行バスで岩手の被災地へ


 今回は岩手県北観光のボランティアライナー モニターツアーに参加、普通にはとても寝られないので、寝酒にワインを持ち込み、少しは寝ることができました。ほんの少し…(+_+)

 前に参加したツアーとは違い、観光半分、ボランティア半分。ガチのボランティアじゃなくてユルユルのツアーです。

 
 翌18日 朝 久慈やませ土風館


 まめぶ汁手作り体験と朝食


 親指大の小麦粉の団子に、黒砂糖とクルミの実を入れてコロコロ…片栗粉をまぶします。
でっかくなったり、小さくなったり…でたらめな大きさ。なかなかうまく作れません。

まめぶ汁

 体験つったってこれ以外はすべてお膳立てができてました(^_^;)
昆布だしベースにニンジン、焼き豆腐、シメジなどの具を入れ、醤油で味をつけたスープにこれを入れます。

まめぶ汁2


 しばしぐつぐつ、煮えたら出来上がり~


まめぶ汁3


 久慈の郷土料理だそうです。う~ん、旨かった~!


久慈朝市


 すぐ近くで 「くじ 冬の市」というイベントがあり、テレビの生中継でタレントのラッシャー板前さんが取材にきてましたー!

ラッシャー板前


 テレビで観るまんま、ぜんぜんタレント気取って無くて、中継が終わっても、見物人たちと気さくにお話しされてました。


久慈朝市2


 干物の露店もありました。手前に写ってる魚、わかりますか?

「サメガレイ」と言うそうです。たしかにザラっとしてサメ肌のよう。別名「セッタガレイ」ともいうそうです。


久慈朝市3


 バスに向かって露店のお姉様方が手を振ってくれました。なぜか鮭を掲げる方も…なんだか元気をもらいました(^^)

 次に向かったのは野田村の「のだ塩工房」特産品天然塩づくりボランティアです

塩造り


 以前にあった塩工房は震災津波で流されてしまいました。ここは震災後に造られた新しい施設です。

土地柄、米などの穀物耕作に適していなくて、昔は海水をくみ上げ、間伐材を燃やして沸かし、徐々に塩分濃度を上げて塩の結晶を作り、牛の背にそれを載せて山を越えて穀物と交換したそうです。


塩造り2


 ボランティアったって短時間で満足なお手伝いができるわけもなく…小さな釜で体験って程度。
ここでは地元の漁業組合長に被災地の漁業の実態をお聞きしました。ホタテやノリの養殖だなや、たくさんの漁船が流されてたいへんな被害があり、残念ながら漁業を廃業した方もいたようです。しかし各地からの支援で徐々に再開しており、なによりこれがきっかけとなり、残った漁師が一丸となって結束が強くなったそうです。
 早く、元のようにたくさんの水揚げができるといいですね。
この後、「野田えぼし荘」で昼食をとり


 三陸鉄道 普代駅 へ行きました。


普代駅

 1両だけ展示してあります。三陸鉄道は北リアス線と南リアス線に分かれており、南リアス線は全線、そして北リアス線も宮古~小本間、陸中野田~久慈間以外は運転を見合わせているそうです。

普代駅2

 のどかなこの風景も数キロ先は、線路が津波に流され、まだその傷跡が生々しく残っている。

 

  普代村

 この集落はある水門によって、高く押し寄せる津波から難を逃れることができた。


普代水門2

  
 この集落を守った水門とはこれだ、1・2・3~

 普代水門!高さ15,5m、長さ205m。


普代水門


 村は1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波で計439人の犠牲者を出した。当時の和村幸得村長(故人)が「15メートル以上」を主張した。「明治に15メートルの波が来た」という言い伝えが、村長の頭から離れなかったのだという。当時35億円を投じ造ったこの水門は当初かなり批判も浴びたそうです。

 宮古市田老地区だけで数百名、岩手県全体では死者不明者あわせて8000名の被害の中、この普代地区では一人も犠牲者を出さなかったそうです。

 先人の熱意が現代のこの地区の人々を救ったのだ! 
 


この後は太田名部漁港・防潮堤を視察。岩泉 龍泉洞を見学してホテルへ…この日の日程を終えました。

 
龍泉洞



  19日 


 宮古市田老


田老


 残っている建物もあるにはあるが…


田老2


 防波堤は決壊


田老3


 上ものはだいぶ片付けられて残った基礎部分だけが目立つ。


田老4


 手前の何も無い部分も、奥に辛うじて残ってる集落同様、たくさんの建物があったそうです。


田老5


 そこには確実に生活があった。


田老7


 流された車や瓦礫は、こうしてまとめて積み上げられたままだ。


浄土が浜


 浄土ヶ浜。すぐ近くにはこんな風光明美なところもある。


仮設商店街


 仮設商店街では地元の人々が笑顔で働いていたのが印象的だった。

 
  そして今回のメイン。
 釜石の震災ボランティア。短時間ではあるが、津波瓦礫の片付けをお手伝いすることができた。


釜石6


 激しく削り取られ、鉄骨だけが残っている。


 釜石


 ここは遺跡でも着工前の造成地でもない。


釜石2

釜石3


 東北が完全に復興するまではこの風景を忘れてはいけないのだ!


釜石4

釜石5

釜石7


 作業を終えた後は温泉で疲れを癒し…


どぶろく

 地元料理とどぶろくをいただく。東北で消費活動をすることも一つの復興策なのだそうです(^^♪


   再び夜行バスで帰京~zzzz




  「ボランティア」の点では今一つのツアーではありましたが、はたして被災地が3.11以降どう変わったのか、復興がどのくらい進んでいるのかを確認したかったし、ツアーに参加することによって僅かばかりでも地元に利益を生み出すことに繋がった(?)のあればこれはこれで意義があったのだと思います。


  一日でも早く震災復興することをお祈りいたしますm(__)m



      


      でゎでゎ










  



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コメント

No title

お疲れさまでした。
結果はどうあれ行動する事に意味があるかと思います。
自分なんて全然何もできていないので頭が上がりませんorz
きっと違った形で「良い事」として返ってきますよ!w

けたばーをさん

お疲れ様です。

けたばーをさんも震災募金に寄付してるじゃないですか。素敵です

きっといいことが…できれば90UPとか…ないだろうな私には
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